いろいろ好きに語ります

ゲーム・任天堂系の話題を中心に語っていきます

ゲームのボスの話

 唐突だが、自分はボスが好きだ

 何が好きかと言われると、雑魚キャラとは一線を引くビジュアル、盛り上がるBGM、一進一退の攻防、(基本的には)唯一無二の存在と対峙する高揚感。挙げるとキリがないからこのぐらいにしておこう。(他にもサイズはデカイほどいいとか、人よりも魔物タイプの方が好き、とか色々あるが)

 

 だが、そんなボスが好きな自分がしょっちゅう思っていることがある

 

 いつになったら専用フィールドじゃない普通のフィールドで戦えるんだ!

 

 ボスの戦いというと専ら通常のフィールドから隔離された空間で戦うことが多いと思うが 、これに遭遇する度こういうことを思っている

 

 不自然さを緩和している作品も無くはないが、多くの作品はいわゆるボス部屋――ゲーム的ご都合主義ともいうべき空間でボスと戦うことになる。その脅威は外に出る心配が一切なく、決闘のような状況でボスと対峙する

 その脅威がジワジワと外の世界を侵食し、さっきまで歩き回っていたフィールドが大きく姿を変えてしまう。そんな"現実的なシチュエーション"のボス戦はあまり見かけない

 ただ、ニアピンをしている作品も一応ありはする

 

 自分が大好きな作品、『スーパーマリオサンシャイン』はこの不満を割と解消してくれている

 ボスパックンはビアンコヒルズの町の上空を移動するし、ボスハナチャンはマンマビーチの砂浜を爆走するし、マンタはシレナビーチをメチャクチャにするし、むしばうなきは深い海の底に鎮座してるし、メカクッパに至ってはピンナパーク全体を周回するジェットコースターを使った戦闘が楽しめる

 こう書いてみると、自分の不満に対して100点満点に限りなく近い答えを提示しているな…ていうか恐らくこの作品の影響でこういうことを思っているんだろうな

 

 まあ話を戻すと、その影響で今はデカい奴が闊歩してる様、飛行している様を見てみたいという欲求が呼び覚まされてしまっている

 具体的には、『ワンダと巨像』の巨像ぐらいのサイズなら満足できる。この作品も割と惜しい線をいってはいるが、ボスとの戦い自体に謎解き要素があることも相まって、やはり専用の戦闘フィールドに落ち着いている

 

f:id:JyuJyuRa8592155:20180914223834p:plain

 このぐらいどでかい奴が我が物顔で広大なオープンワールドを行き来する様子を見たいと思う。思わない?

 

 ちなみにこの話の流れでいうと、『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の魔獣ガノン戦は期待外れだった。ガノンは完全に置物と化しており、体の向きを変えるだけで動くことがない。戦闘フィールドもあくまで隔離されたオープンワールドの一部分だけに留まっている。トワプリのような馬上戦をあのサイズのガノンと出来たら......無い物ねだりはよくないが、せっかく外の世界で戦う場面なのだからもうちょっと躍動感ある戦闘であって欲しかった

 ちなみに神獣は大好きだ。生物を模倣した人工建造物というコンセプト、絶妙な機械と生物の中間の動き、そしてデザイン。神獣がいる周りの地形が実質ボス戦のステージ状態になっていることを差し置いても大満足だった

 

 とは言ってるものの自分の欲求はまだ完璧には満たされていない。このエントリーの内容そのものがコンセプトのゲームがあってもいいくらいだと思っている。ゲームクリエイターの皆さん、待ってます!

 

 

『星のカービィ スターアライズ』はなぜ、ボリューム不足に感じるのか?

f:id:JyuJyuRa8592155:20180412145134p:plain

 星のカービィシリーズ最新作『星のカービィ スターアライズ』。星のカービィWii以来、7年ぶりの据置機作品、Nintendo Swtichというハードの特徴を意識してか、かなり多人数プレイに比重を置いた作りになっている。

 本文に入る前にまずそのことを意識に置かないと、この批評は的外れになってしまう可能性が大いにある。だが、私は一人プレイで一通りの要素を遊んだので、その点の考察が足りないかもしれない。その他にも気付いていない点があるかもしれない。それらの私が至らないかもしれない部分については、ぜひ優しく指摘していただけるとありがたい。(内容によっては追記を書く可能性もあります)

 

 決して少なくない人数のプレイヤーが今作にボリューム不足を感じているのは、私がツイッターで検索した限り、ほぼ間違いないと言っていい。だがそれに対して「ステージ数的には前作より増えている」と反論をもらったところで「そんなこと言われたって...」というのが本音である。

「〇〇が原因でボリューム不足に感じる→今作はボリュームは少なくない」という論理展開ではなく、「なぜボリューム不足に感じるのか」を解明するのがこのエントリーの目的である。

ボリューム不足に感じる原因

 今作にボリューム不足を感じる大きな要因として、全体的な印象の薄さがあると私は考える。

 ストーリーモードで言えば、ステージとボス戦、あとはささやかなムービーや演出、印象に残るとすれば大まかにこの3つだろう。順番に語っていく。

ステージ

 前作、前々作と比べると明らかに個性的な仕掛けやアイデアが少ない。テンプレ的カービィステージが大半を占めている。

 フレンズ能力によるギミックも決してつまらないとは言わないが、あくまで今までのファイアで導火線に火をつける、ハンマーやストーンで杭を打つといったギミックの延長線上であり、真新しさはない。それに加えてフレンズ能力を使用したギミックはステージの中で一貫して使われることは少ない。一問一答とでもいうべきか、応用的な答えを求められる場面は少なく、後半になるにつれて単調に感じていくのは否めない。

 あとはステージ一つ一つの色が薄いというのも挙げられる。色というのは何かというとそのステージを一貫する何らかのギミックやアイデア、世界観から来るもので分かりやすいものなら水中ステージ、火山のステージ、ボスラッシュステージといった特徴付けのことである。これが今作は非常に薄いという印象を受ける。

 また、フレンズアクションに関してはどうしても唐突に始まり、唐突に終わる感じがある。横スクロールアクションパートとの橋渡しの部分が欠けており、とりあえずステージの中にねじ込んだような歪さを感じる。フレンズアクションがあったことを忘れる人はいないだろうが、変則的に登場されるとあまり印象には残らない。

ボス戦

 全体的に動きが単調な印象を受ける。アルティメットチョイスをやっていると分かりやすいが、動きのパターンが基本固定されておりプレイヤーとボスとの一騎打ちという感じではなく、叩くためのサンドバッグのような印象を時々抱いてしまう。

 ボスの種類も定番のウィスピーウッズユグドラルウッズ)、デデデ大王メタナイトクラッコに加えてポン&コン、アンセスビッグマム、コンパチブルの三魔官、ハイネス、エンデ・ニルと今までのカービィシリーズを遊んできた人たちからすると真新しいボスはあまり多くない。

ムービー・演出(ストーリー)

 今作の地味に深刻な問題としてカービィの動機づけが弱いという点があると考える。

 最初のムービーの内容は宇宙の彼方から何やら邪悪なものが飛来し、ワドルディたちがプププランドの食べ物をデデデ城に集め始めたというもの。何らかの異変が起きてカービィがどこかに向かうというのは今までと同じで、そこまで大きな動機づけは必要ない。ただ、これは放置しておくと後半になるにつれてこんな疑問を生むことになる。

「ストーリーの最終目的って何なのさ?」

 ポップスターにジャマハルダが飛来して、最後のザン・パルルティザーヌを倒すところまではある程度自然な流れだが、そこからラスボスに向かうまでの流れは目的がフワフワしている。星のカービィ3でもダークマターが飛来して、汚染を徐々に解消していくということをやっていたが、こちらの場合はその延長線上でラスボスと戦う流れになっている。

 だが今作は、ハイネスたちの目論みが分からないまま彼らの本拠地まで向かうことになる。

「これの何が問題なの?」と疑問に思う人もいるかもしれないが、これはつまりプレイヤーがどこでゲームが終わるかイメージできないということを意味する。

 「ハイネスとかいうヤツを倒したら終わりなの?」「それともまだ真の黒幕がいるの?」「最終ステージってどんな場所?」といった疑問をもったまま、ラスボスを倒しエンディングを迎えると結果こういうことを思ってしまう

「え?あ〜これで終わりなんだ」と。これでは完全に消化不良だ。

  あとは最終決戦に向けた気持ちの高揚という点でも、「いよいよラスボスだな…」とプレイヤーが気構えるための段取りが不十分だ。段取りとはすなわち、その手前のステージやステージセレクトの雰囲気で敵の本拠地に向かっていっているということを分かりやすく表現することだ。

  さらに言うならば、ラスボスのエンデ・ニルがどれだけやばいヤツなのか、コイツを放っておくとどれくらい大変なのかということが曖昧だと、あまり気分が高ぶらない。「自分が今やっていることは宇宙を賭けた戦いなんだ…」と思わせてくれるような演出をちょっと入れるだけでもプレイヤーの気持ちはだいぶ変わるので、そこは今作のもったいない点であり、次回作に活かしてほしいところである。

 

 その他にもこれは個人的な好き嫌いの域を出ない指摘かもしれないが、エクストラステージにおけるBGMの使われ方もあまり釈然としない。

 BGMはその曲が流れたステージはどんなものだったかを思い出すためにも有効に機能する。なのでひっきりなしに曲を変えられると正直、ファンサービス云々よりも「ああ、無個性なステージを誤魔化すためにこうしてるのかな…」という誰にとっても嬉しくない勘繰りをしてしまう。(エクストラステージが色んなステージのギミックの詰め合わせのような立ち位置なだけに)

他のモードについて

 星の〇〇〇〇はストーリーモードと殆ど被っているが、「あのステージ面白かったなー」といった想起ができないと同じようなステージをもう一度遊ぶモチベーションが起きにくい。

 様々な能力のキャラクターで繰り返し遊ぶことが想定されたモードなだけに、個性的なステージを出来る限り多く用意して欲しかったというのが本音だ。

 

 最後に2つのミニゲームだが…マリオパーティに入ってる何十個のミニゲームの一つという印象で正直言って面白くない。友達と集まってこのゲームを遊んだとしても、このミニゲームを遊ぶことはないだろう。

 この2つのミニゲームの担当はHAL研究所ではないようだが、それにしたってもう少しカービィらしく、遊びごたえのあるものを用意してほしかった。文字通りの取ってつけた感が何とも複雑な気持ちにさせる。

本作の良いところ

 散々ディスまがいの批判をしてきたが、もちろん本作にはいいところもたくさんある。一番はもちろん多種多様なフレンズたちだ。

 これは揺るぎないカービィの魅力であり長所だが、コピー能力毎の操作感がとても気持ちいいというのがある。アクションゲームとしてこれはとても強力なアドバンテージだ。

 特に私はスティックが気に入っている。棒高跳びの要領でピョンピョンしたり、縦横にしか真っ直ぐ伸びない棒を敵に当たるようにうまく操作するのは、とても手に馴染む操作感で気持ちいい。

 またドリームフレンズは普通のコピー能力とは全く違うオリジナルの技も多く使え、キャラクターを操作しているだけでもとても気持ちいい。今後もドリームフレンズは追加予定とのことなので、期待して待ちたい。

星のカービィシリーズの転換点

 あまり納期に囚われることなく作った前作、前々作*1と比べるとどうしても細かいところの粗が目立つが、単純に「時間が足りなかった」という結論なら、わざわざ私がこのエントリーを書く意味も薄いだろう。もちろん時間がなかったから発生した問題点というのもありはするが、それ以外の根本的な問題点も無視出来ない。

 初のHDゲーム開発、フレンズヘルパーという明らかに工数が膨れ上がる新要素、Nintendo Switchのソフト展開上破れない納期。頑張りとしては評価出来るが、やはりユーザーとしてはそれをゲームの出来に反映してほしいというのが本音である。

熊崎 開発はまさに総力戦となりましたが、それでも25周年のお祝いをカービィのファンの方と一緒に、ソフトと同時に迎えられるのは本当にいいことだなぁと思いました。その期待に応えられる『カービィ』を、私を含めて開発チーム自体が一番脂の乗った時期に作ることが出来たと思います。『スターアライズ』はこれからの『カービィ』のことを考えずに、ある意味出し惜しみせず作ったところもありますので、『星のカービィ』の最終回がもしこうだったらこうデザインするみたいな決定版です!

 

ニンテンドードリーム 2018年5月号 vol.289 P23

 今作は、世に出ることがなかった幻の三作*2のうちの一作のアイデア、フレンズヘルパーを採用したり、Wii、TDX、ロボボのいわゆる熊崎カービィのスタイルを踏襲している。上のインタビューの通り、新しいことに挑戦するというよりかは今までのカービィの文法はそのままにブラッシュアップさせたという立ち位置が妥当だろう。

 これから先のことは考えずに作った集大成が今作なら、次回作では過去作の手法に囚われない新たなアイデアを生み出してほしいところである。

「たまたま好きになっただけ」という考え方

 世の中には様々なコンテンツがあり、人並外れた愛や熱量をもってそのコンテンツにお金や時間を投資する人たちがたくさんいる。日頃からネットを見ていると、もはやそういう人間の存在しないコンテンツなんてないんじゃないかと思ってしまう。

 さて、ここではこういう人たちの活力の源である「好き」という感情について語っていきたいと思う。

 

好きになるまで

 まず私を例にすると、私は任天堂が大好きだ。任天堂が作るマリオやゼルダといったゲーム、そしてその中に出てくる世界観、ストーリー、キャラクター、音楽も好きだし、任天堂の会社としての信念、ゲームづくりへの姿勢も好きだ。

 自分でも不思議に思うがこれだけ任天堂に夢中になっているにも関わらず、好きになった経緯は実に単純だ。

自分の好きなものって何だろう?→子供の頃から無意識に任天堂のゲームばかり選んで遊んでいた→じゃあ任天堂好きだわ

 

 完全に偶然の産物である。

 最も詳しく辿ると、私の父が友人か誰かからスーパーファミコンを譲ってもらった時のソフトラインナップに原因があると思う。

 その時のラインナップというのが以下ようになっている。

 

 

 見事に任天堂ソフトオンリーである。

 子供の頃は気づかなかったが、ここまで極端に任天堂ソフトに偏ってるのを見ると、子供の時の影響は大きいものがあるのだなあ、と思ってしまう。ここからWiiの末期頃までは無意識に任天堂ソフトを優先的に親にねだっていたように思う。ここで好きになる下地が出来ていたようである。

 もうひとつのターニングポイントは家に無線LANが置かれ、3DSニンテンドーeショップニンテンドーダイレクトを初めて見た時だった。

 恥ずかしい話、有野課長にインタビューをする動画を見るまでは、目の前のぽっちゃり体型な眼鏡の男、岩田聡任天堂の社長だとは知らなかった。

 だが、目の前の人間が誰かは知らずとも、伝えてくれるまだ発売されていないゲームの情報は非常にワクワクしたし、ゲームを遊んでいる時と同じぐらいテンションが上がった。そしてそういう気持ちにさせてくれるのは任天堂のソフトだった。

 任天堂好きを自覚したのはちょうどこの辺りだ。

 他にも、過去に発売されたマリオやゼルダカービィのゲームを知ることで長い歴史の上にこのキャラクターのシリーズはあるんだなあ、と感じたことも大きい。そしてそのようなタイトルを多く抱えている任天堂という会社自体の歴史に興味をもち、個性豊かな任天堂社員たちの顔を知り……と私は任天堂を好きなって今日に至るわけである。

 

好きになっていた

 ここまで書き記してきて私が思うのは、好きというのは”なる”ものではなく”なっている”ものなのではないかということだ。

 言い換えるならば、何か理由があって好きになるのでなく、理由は 後から伴うものではないか、ということだ。

 

 よくインターネット上で自分が好きなものについて理由を熱く語る人を見かける。そして頭の良い、客観的に自分の好きという感情を分析する人ほどその理由を一般論に持ち込もうとする。

 だが、私はこう言いたい。「じゃあ、あなたが挙げた好きな理由を満たすものが出てきたら、それも好きになれますか?」と。

 「もちろん」と自信満々に答える人もいるだろうが、私の予想ではそうではない人の方が圧倒的に多いと考える。

  私自身も客観的に、より一般論にして自分の好きという感情を分析しようとしたことがある。だが、先の問いを投げかけられてはっきりと頷ける自信は、正直ない。

 

 気持ち悪いと感じる人もいるだろうが、任天堂だから好きなのだ。任天堂と同じ構成要素を多く含んでいるものがあったとしても、それは私が好きな任天堂とはハッキリ別の存在である。好きになるとは限らない。

 何故そういうことが起きるのか、理由を求めることもできるだろう。だが、先に語った私の好きの経緯を辿ったところで、どこに原因があるかなんて調査分析していったらキリがない。

 もはやその人の人生を一から辿るレベル、もっと言うならばその人の生活環境、人格形成、親族や友人の影響まで調査しなければ答えは出ないと思う。

 子供の頃から触れてきたものを好きになりやすい等の傾向はあるだろうが、明確にこれとこれが理由で好きになったと断言するのは難しいだろう。

 「なんで好きか?」というのは愚問だと私は思う。

 

たまたま好きになっただけ

 ここまできて何がいいたいかと言うと「好きという感情に理論武装はいらない」ということだ。

 他人から「それは〇〇のパクリだ」等の自分の好きなもののアイデンティティを脅かすようなことを言われると、ついつい反論したくなる気持ちも分かる。だがそこで一旦落ち着いてほしい。

 好きという気持ちは必ずしも筋道立ったものではない。他のものでは気に入らない部分も、自分の好きなものだと許せるといった矛盾を孕んでいる可能性がある。そしてそれは決して悪いことではない。自分が心血を注いできたものを否定するのはメンタル的にも良くないし、そもそも好きに理由を求める必要性はないはずだ。

 もちろん自分の好きという気持ちを確固たるものにするべく、理由を探している人もいるだろう。そういう人を否定したりはしない。それも楽しみの一つだ。

 だがやるなら徹底的にやった方がいい。そして、悪い部分も含めて客観的な視点をもつべきだ。そうしないと世間との評価の間で苦悶することになる。良い所も悪い所も受け入れるか、悪い所には目を瞑るかは自由だが、後者は無自覚に高飛車になる恐れがあるのであまりお勧めはしない。

 

 あともう一つ言いたいのが「好きへの固執」という話だ。

 先も言ったように、自分が心血を注いできたものを否定するのはメンタル的に良くない。だが今は好きなものもいつかは飽きる可能性があることは理解した方が良い。

 世の中には面白いコンテンツて溢れているし、そもそも人は根本的に飽きっぽい。刺激に飢えているからだ。

 好きなもので刺激を満たせなくなったらいっそ、新しいものを探してみてはどうだろうか?それを自ら自覚しているにも関わらず「好きに固執する」姿は正直言ってみっともないし、自分自身が苦しいだけだ。

 人間の興味の対象はポンポン移り変わっていく。いつかはかつて好きだったものにまた夢中になれる時がくる可能性はあるし、こなかったらこなかったで思い出として語れば十分だろう。

 「たまたま好きになっただけ」という風に考えて肩肘を張らないことをお勧めする。そうすればまだ見ぬ魅力的なコンテンツに出会う確率も上がり、そうすれば楽しい時間は今よりもぐっと増えるだろう。

 

 

 

E3 2017 任天堂まとめ

まとめとはいっても発表の中で印象に残ったことを要約した上で個人的な感想を書くだけなので悪しからず

 

スプラトゥーン2

 映像での発表は無かったが、イカ研究員こと野上PがTree House Liveで「サーモンラン」「ヒーローモード」等の詳細を解説した。

 サーモンランは簡単に言ってしまえばCoDシリーズのゾンビモードに近いものだが、思っていた以上のボリュームと難易度をもっていそうで非常に楽しみだ。出来れば報酬だけでなく、スコアを極められるようになっていればモチベーションも維持できてありがたい(200%が果たしてどんなものか...)

 ヒーローモードは特に新しい発表は無かったが、ステージのクリアタイムが表示されるようになったのは素直に嬉しい。前作もスピードクリアのようなことを一人でやっていたが、アクションゲームにおいて一番シンプルな記録の追求はタイムアタックだと思うので、出来ればもっと多くのゲームで最速タイムが表示されるようにしてほしい。

Xenoblade2

 目新しい続報はなかったが今作の舞台が巨神獣(アルス)という巨大な生物の上で、それらは複数存在するため、完全なオープンワールドではないということが開発者の口から告げられた。プレイ映像を見る限りでは前作、前々作と相違ない広さを誇っているが、これが意味するところは非常に気になる。

 キャラデザの一新から多少の違和感を感じるファンも少なくはない。私個人としては深夜アニメが一般市民の娯楽として浸透し始め、いわゆる「萌え絵」寄りなキャラデザが”標準規格”になったことを示唆しているようで「ははーん」などと勝手に納得していたため、違和感は少なかった。主人公の顔は少し無個性な気はするが...

 

 それにしても任天堂のタイトルの支援をしつつ、定時帰宅を徹底するモノリスソフトが前作XenobladeXから約2年で今作を完成させたと考えると、恐ろしい開発スピードである。

星のカービィ for Nintendo Switch(仮)

 星のカービィWii以来となる据え置き機向けカービィ。(いつの間に作ってたんだHAL研!?)Wiiにもあった複数人プレイはそのままにSDX、USDXぶりにヘルパーが復活した。

 星のカービィ64にあったミックス(コピー能力同士を掛け合わせる)に似た要素も見受けられたり、星のカービィ3とアニメ版以外に一切登場しなかったクリーンの能力が復活したこともファンを沸かせた。

 TDXやロボボプラネットのようなひとつの新しい要素を加えるというよりかは根本的なシステムの変更を施したように感じた。

メトロイド RETURN OF SAMUS

 『メトロイド ゼロミッション』以来、約12年ぶりとなる2Dメトロイド(とはいってもリメイクだが)。ドット絵ではなく3Dポリゴンになったことで全方位へのエイムが可能となるなど、操作感は原作を圧倒的に凌駕してくるといっていいだろう。

 海外ではメトロイドプライムシリーズの方が人気だが、2Dメトロイドにもまだまだポテンシャルがあることを是非示して欲しいと思う。

メトロイドプライム4(仮)

 タイトルだけの発表にも関わらず、アメリカ任天堂の動画が154万再生を記録したり(2017/6/20 現在)、妙に盛り上がったこのタイトル。前作から約10年待たされたのだから無理もないか。

 個人的には開発会社がレトロスタジオではないことの方が驚いた。(レトロスタジオは今何を…)まだゲーム画面も開発会社も明かされていないため特に言及することもなし。

ファイアーエムブレム無双

 登場するキャラクターが三すくみのシステムを活かすために『紋章の謎』『覚醒』『if』に限定されると発表されてからの今回の映像。「三すくみを成立するために必要な役者が揃ってねーじゃねーか」とファンからの苛立ちの声が聞こえてきそうだ。

 『白夜王国』のリョウマ、『暗夜王国』のマークスが登場したのを見ると『if』の主人公格キャラ8体全員参戦しそう、と思ったのが個人的な感想。

ヨッシー for Nintendo Switch(仮)

 前作『ヨッシー ウールワールド』の資産をそのままもってきたような印象を受けるが、完全なウールクラフトの世界観ではなく、ペーパークラフトなどを始めとした子供部屋のような世界観にグレードアップしている。

 表と裏を行ったり来たり3D空間を走りまわるようなシーン(限定的な可能性が高い)もあったりと単純な2Dアクションではないことも示唆していた。

 最初に見た時はペーパークラフトの感じが「カラースプラッシュっぽいな」と思った。グッドフィールとインテリジェントシステムズの間で技術の共有が行われたとも考えにくいが、もしかするとこのタイトルはWiiUの『星のカービィ スーパーレインボー』、『ヨッシー ウールワールド』、『ペーパーマリオ カラースプラッシュ』等の等身大の世界観のタイトルの表現技法のある種の到達点に行き着いているのかもしれない。

マリオ&ルイージRPG DX

 マリオ&ルイージシリーズで唯一やったことがないタイトルが初代だったのだが、まさかリメイクが出てしまうとは

 今回任天堂から発表されたタイトルの中で唯一リークされたのがこのタイトルだったようだが(海外の通販サイトかなにかに事前登録されていたのを発見したらしい)、正直信用はしていなかった。リーク情報であることもそうだが、アルファドリームがここに来て先祖返りをする意図が分からなかったことが大きい。

 『マリオ&ルイージRPG4 ドリームアドベンチャー』と『マリオ&ルイージRPG ペーパーマリオMIX』、この2タイトル間でキャラクターデータ等の流用が行われ、それをさらに初代リメイクにも使用するとなると、ユーザーが考えているほどリソースは割いていないのかもしれない。それを鑑みてのリメイク決定だとしたら納得できる。(リメイクだからといって売り上げをそこまで期待できるシリーズでもないと思っただけに)

スーパーマリオ オデッセイ

 事前から発表されていた今回の発表の目玉タイトル。期待を裏切らない東京制作部は今作でもどうやら健在のようだ。帽子の姿をした相棒「キャッピー」によって手に入れた能力「キャプチャー」。ゼルダBotWもそうだったが、単なる新しい変身などではなく、ゲームの根本に関わってくる大きな仕組みを導入してきたのが、上辺な変化ではないことが伝わって来てとてもワクワクする。

 ここにきて箱庭マリオに路線を戻してきたことについてはここで話すと長くなるので、気が向くか、発売されたら書くことにする。

 ポリーンが登場したことや、マリオの服が過去作からの引用だったりと、「本当に本編マリオなのか!?」というレベルのファンサービスの多さは今回のE3一番の驚きだったかもしれない。

 PVで流れた『Jump Up, Super Star!』には何か感慨深いものを感じ、少しウルっとしてしまった。

 

総評

 映像で発表されたタイトルは今年、もしくは来年発売の任天堂のシリーズものが主だった。Wiiの体感系ゲームではなく、ゲーマーへの訴求力の高いタイトルを中心に置くことでサードパーティの呼び込みを狙っていると思われる。また、インディーズタイトルも積極的に呼び込みを行っており、持ち運べる点、コントローラーが標準で二つ付いているを鑑みれば、たとえマルチタイトルであっても差別化は充分出来ているといえる。また、E3が一般公開されたことをうけてか『ポッ拳』『ARMS』『Splatoon2』とeスポーツのイベントを開催、どのゲームも会場を沸かせた。

 

 実況動画を容認したり、継続的なアップデートや追加DLCの発売を行ったり、eスポーツ関連へのアプローチをしたりとゲームそのものだけでなく、ゲームを盛り上げていく取り組みもこれからの任天堂は積極的に行っていくだろう。

Hey! ピクミンにみるアーゼストへの期待

 これより前に書いたエントリーがすごい堅苦しくて、正直あの文体だと月一でもきつい。(内容が内容なだけあるが)

 というわけでだろう「である調」から脱却しようと思う。(もしくは使い分けるか...)とりあえず、このエントリーは軽めの文を意識しようと思う。

ブログを続ける中で文体が変わるなんて前代未聞な気がするが...

 

本題に移ろう

www.youtube.com

 ピクミンシリーズ初の2Dアクションゲーム『Hey! ピクミン』。ニンテンドー3DS向けソフトとして7月13日(木)に発売予定だ。

 

 正直、あまり期待していなかっただけにこの紹介映像には惹かれた。ピクミンシリーズの特徴であるタスクマネジメントの要素は薄そうだが、これはこれで新しい魅力が生まれていると思う。

 

 で、何で期待していなかったという点が主題な訳だが、なぜそう思ったかというとずばり、このソフトの開発会社がアーゼストだったから。

 

 知らない人のために補足しておくと、アーゼストはア―トゥーンを前身にしたセガ出身の石井洋児が設立したゲーム会社で、任天堂ソフトの開発を主に行っている。

 この会社が任天堂ファンの私からするとじつに信用ならない存在で、それを印象付けたのが『ヨッシーアイランドDS』、『ヨッシーNewアイランド』この二つのタイトルだ。

 その酷さといったらもう...任天堂クソゲーランキングをやったとしたら間違いなくトップ10に入るぐらいで、やったことがない私の耳にも操作性、音楽、難易度の酷さを訴える声は大勢届く。初代ヨッシーアイランドは遊んだことがあり大好きだった分、シリーズの凋落っぷりはとても悲しかった

 

 しかし、そんな私でも『Hey! ピクミン』は期待できる。少なくとも上で挙げた内のひとつ、音楽は心配ないと思う。たぶん...。ピクミン2に存在した図鑑が復活していて、そこは純粋に楽しみにしている。

 

 

 一回、二回の失敗でその後の行い全てを否定するのはナンセンスだと思うし、出来る限り名誉挽回のチャンスはあげたいと思う。(甘いだろうか?)

 今回で悪いイメージをアーゼストが打破し、「これなら次の作品もアーゼストで大丈夫だな」と思わせてほしい。

 今作の開発がアーゼストであると知ったとき「任天堂はなぜアーゼストに自社の大事なコンテンツを託すのか?」と思っただけに

バカであることは悪である

 言いたいことを要約したらこんなセンセーショナルなタイトルになってしまったが、それを説得するためにこの文章を書くのだから問題はないだろう。

 

勉強しろとは言うけれど

 そもそもなぜ子供の頃から口酸っぱく親に「勉強しろ」と言われるのだろうか?子供に教育を受けさせるのは親の義務だから?将来役に立つから?興味関心のある物事を見つけるため?

 答えはいろいろだが、私の言葉でそれらの答えを集約するならずばり、「勉強しないと損をするから」だ。

 

 損をするといっても、「あの人は英語を勉強したから外国人とコミュニケーションを出来て羨ましい」といった自分は得られない他人が得たメリットに嫉妬するのとは違う。これも広義には損と言えなくもないが、これを含めてしまうと話の趣旨が変わってきてしまうのでここでは割愛する。

 ここで語るのは騙されることについてだ。

 

バカは騙されやすい

 意図的な情報操作、各種詐欺……世の中にはズル賢いヤツらがわんさかいる。人を騙すことで生計を立てる不埒な輩もいる。バカはそういった連中の餌食になる。

 

 バカには色んな意味があるが、最近は「自分の頭で物事を考えない人間」を指す言葉として使用されるケースが増えているように思う。情報を受け取った後、それが正しいかどうか考えない人が多い現代社会にふさわしい使われ方と言える。(このエントリー内ではこの意味で使っている)

 

 これらの被害に遭うのは一個人が自分の頭の悪さ故に不利益を被る自業自得の所業だ。ここまでなら別に「バカであることは悪」ではない。

 

マスゴミが無くならないワケ

 マスゴミ偏向報道や情報操作をするメディアを揶揄するこんな言葉がある。

「マスコミは責任をもってその情報を発信すべきであり、それを放棄するなんてゴミクズも同然だ!」

 情報を発信する者に責任を問う、という意味では至極真っ当な言葉だ。(実際にそういう意味で使われているかはさておき)

 

 だが残酷なことに、発信する側を叩くだけでは我々の不利益は払拭できない。受け取った情報をそのまま鵜呑みにするバカな一般市民が一定数存在するからだ。

 振り込め詐欺も同じだが、結局損をするのは我々一般市民だ。それらを根絶するのに出る芽を摘んでいく方法だけでは到底間に合わないし、被害は免れない。個人個人が自覚し、自らを改革していく必要がある。言い方は悪いがバカな一般市民が多くいるからこそ、メディアは平気で印象操作をするし、バカな一般市民がいなければ、マスゴミなんてものは存在し得ない。

 最近はネットで市民の声が見れるようになり、より感情論に寄り添った偏向報道をメディアが行うようになっている。もはやメディアの自浄作用は期待できない。マスゴミを無くしたいのなら、一般市民の意識改革は必須だ。

 

無責任な情報拡散は悪である

 上で話した一般市民の意識改革は何もマスゴミの廃絶のためだけに必要なわけではない。バカな一般市民が多数派を占めることで、マスゴミのような情報の正確さ、中立性を担保しない存在を野放しにしてしまう。この”存在”の中に我々一般市民も含まれる。

 

 今の情報化社会、一度世の中に放たれた情報はネットを中心に加速度的に拡散されていく。それが真実であろうと、デマであろうとだ。

 そんな中で「デマと知らずに拡散しちゃいましたー」と言って、果たして許されるのだろうか?個人個人が社会に与える影響力が増したのなら、責任も重くなって然るべきではないだろうか。

 無責任に情報を拡散して正しい情報の拡散を阻害したとしたら、それは立派な悪行であると私は考える。そして、バカであり続ける限りこの”自覚なき悪行”はいつか必ず行ってしまう。

 

 頭を使うことから逃げるのは大いに構わない。だがそれによって人に迷惑をかける可能性があることぐらい、せめて自らの頭で考えてほしい。

 

 一度広まったデマを訂正するにはとんでもない労力が必要になるのだから...

ゼルダシリーズの歴史からブレスオブザワイルドを語る

 ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(以下、BotW)は歴史に名を残す名作になる。わたしはそう確信している。

 初代から31年、時のオカリナから19年、偉大なる先代たちに負けない仕上がりになっている。

 そうなるとやはり気になるのは、ここまで任天堂はどうやって行き着いたのか?ということだ。ゼルダが歩んできた30年の歴史をたどりながら分析していこうと思う。

 

- 初代ゼルダオープンワールドである -

 初代ゼルダの伝説の冒頭を覚えているだろうか。

 何の指示も無く世界に放り出されたリンク。とりあえず近くの洞窟に入ると老人にこう言われる。
「ヒトリデハキケンジャ コレヲ サズケヨウ」
 そういって剣をくれる。

……たったそれだけだ。説明も指示もない。そそくさと洞窟から出る。
「ここからお前は勇者だ。さあ世界に旅立て!」

 
 冒頭だけ見ても、初代ゼルダの構造はオープンワールドゲームによく似ている。あれやこれやと要求や指示をすることなく、プレイヤーの目の前にいきなり広大フィールドを出す。マップを隅から隅まで探索するもよし、隠し部屋を探すもよし、敵と戦うもよし、ダンジョンを攻略するもよし......

 もちろんゴールは存在するのでそのためにやらなければならないことはたくさんある。しかし、このゲームはそれを教えてくれないし、強制もしない。

 この懐の深さが初代ゼルダが名作と言われる所以なのだ。

 

www.youtube.com

 

 BotWのインタビューで開発者が口々に言う「原点回帰」はまさにこの点である。昨今のオープンワールドブームに乗っかろうと思ったわけでは決してない。今作はゼルダシリーズ行き着くべき到達点なのだ。

 

時のオカリナ - 2Dから3Dへ -

 時のオカリナがゲーム業界やプレイヤーにもたらした衝撃は、もはや語る必要はないだろう。

 任天堂は2Dから次のステップ、3Dに突入した。それによって開発環境の激変し、開発難易度も急上昇した。このスーパーファミンからNINTENDO64への移行時期の過酷さは素人がおっかなびっくり語っていいものではない。

 しかし、そんな中でも時のオカリナの開発陣は活き活きしていた。

 

滝澤 『ゼルダ』のものづくりというのは、もともと完璧な設計図があるんじゃなくて、ある土台を元に、みんなでキャッチボールをしながらかぶせ合いするようなことが基本だったような気がします。

 

春花 そうですよね。つねにみんなとしゃべりながら、ネタをかぶせ合って、ものをつくっていましたし。たとえばディレクターに対しても「決めてください」というのではなく、“いっしょに決めにかかる”みたいな感じでした。

 

岩田 つまり、指示をする人と指示される人の構造ではなかったんですね。

 

春花 そうなんです。立場やキャリアに関係なく、「こっちのほうがいいと思います」とか、自然とみんなで言い合えた現場でした。その傾向は、とくに開発の終盤に顕著になりました。

 

宮永 終いには「そこは僕がやります」とか。

 

春花 そう、気がついたことはそれぞれが勝手にやっていたんですよね。

 

 インタビューから、時のオカリナの特異な開発環境が見えてくる。それは、やるべき仕事を分担するのではなく、スタッフ全員でクオリティアップを図っていくということだ。

 

 任天堂は昔から、良く言えば自由、悪く言えば行き当たりばったりなこの開発スタイルを貫いてきた。成功は多くあれど、失敗もあった。そんな中で時のオカリナの時は、この方法が完璧に機能した。

 例えばキャラクターならば、デザイン、モーション、テキスト、声、テーマ曲等々......各担当スタッフがひとつのキャラクターイメージを共有し、それを実現するためのアイデアを全員で詰めていく。”ネタのかぶせ合い”によってだんだんとキャラが立っていく。限られた人間の頭の中にあるイメージを具現化するのではなく、全員でイメージを固めていくのだ。

 BotWは開発環境だけで言えば、時のオカリナ極めて近い。これについては後述する。

 (蛇足だが、宮本茂の「ゲームは2度作ると良くなる」という言葉はこういう経験からきたものかもしれない)

 

風のタクト - 広さと密度の両立 -

 インタビューで青沼氏がたびたび口にしているので知っている人も多いと思うが、BotWでやりたかったことは、風のタクトの時に一度挑戦しているのだ。

 そのやりたかったこととは、言うまでもなくオープンワールドだ。移動中にロードがはさまれることなく世界がどこまでも続いている......それを実現するために風のタクトでは広い海を用意し、島という要素を散りばめていった。

  しかし、広さを実現するためのアイデアが先行してしまったために風のタクトはもう1つの大事な密度を追求出来ていない。

 

 ここで再び時のオカリナを取り上げる。

 時のオカリナハイラル平原のサイズ感は絶妙だ。

  目的地に行くまでにかかる時間がストレスを感じないレベルで長く設定されており、広さを演出することと、利便性の両立に見事成功している。また、フィールドの広さに慣れてくる後半には、ワープポイントを登場させることで、移動にストレスを感じない工夫が施されている。

  この「目的地に行くまでにかかる時間と、その道中のフィールドの遊びの密度のバランス」を時のオカリナはわきまえていた。

 

 一方、風のタクトはどうだろうか。自分はその点の配慮が欠けていたように思う。

 全体の密度のバランスをみつつ、フィールドの広さを設定しなければならないところを、広さを先に設定してしまったように感じる。全てが全て海という巨大なフィールドで繋がっている本作において、この作る順序の違いは深刻である。

 結果、風のタクトは移動が非常に退屈なゲームとなった。これは、馬を走らせるためにハイラル平原を作った時のオカリナと対極の関係にある。

  また、海を題材にする以上、主要な遊びが島という限られた空間に集中してしまい、密度のバランスをとるのが難しい、という根本的な問題もある。

 

 風のタクトを例えるならば、最初に大きな紙を選んでしまい、時間が足りず空白がたくさんできてしまった絵、といったところか。部分的には評価できるが、全体を見ると大きな問題を抱えていることが分かる。

 目指していた方向性で言えば、風のタクトがBotWが一番近い。

 

下の動画の19:58あたりから青沼氏がオープンワールドに関して語っており、風のタクトを例に挙げている

www.nicovideo.jp

 

スカイウォードソード - 分担と全体のバランス -

  今回の記事を書くにあたり、スカイウォードソード(以下、スカウォ)の社長が訊くを読んだのだが、BotWを語るうえで最も重要なタイトルはスカウォである、と確信した。ブレスオブザワイルドはスカイウォードソードのリベンジである、最初はこのタイトルにしようかと思ったくらいだ。

 

 そう思った理由は2つある。ひとつは、再利用されたアイデアが複数あること。メニュー画面を開かないアイテム選択方法、のろし、パラショール(BotWはパラセール)、ダウジング等。

 もうひとつは、スカウォの開発スタイルが、BotWのそれの反面教師になっていることだ。

 前者は列挙するだけなので、ここでは後者について詳しく書いていく。

 社長が訊くを読めば嫌でも分かってくることだが、スカウォは大きなチームが4つあった。空、森、火山、砂漠。そして、これら全体のバランスをディレクターやプロデューサーが監修するという開発体制をとっていた。公式で”濃密ゼルダ”と称したり、開発期間、開発者の人数が任天堂最大規模なのを自慢するぐらいスカウォはボリューミーなゲームだった。だから、この開発スタイルは妥当といえる。

 しかし、スカウォよりボリュームが多いBotWでは、この開発スタイルはとられていない。なぜか?

 スカウォをプレイした人なら分かると思うが、このゲーム、後半の面倒くささが半端ではない。サイレンを代表する収集ゲームの連続...ダンジョンやアクション系のミッションは後半につれて少なくなっていき、同じようなことばかりが連続でプレイヤーに課せられていく。

 原因はいろいろとあると思う。だが敢えて言及するならば、チームをはっきりと分けたこの開発スタイルに最大の原因があると私は考える。

 個々のチームのアイデアは素晴らしいのに、それを全体として見て、バランスをとることに労力を割けていなかったのだ。少なくとも、スカウォの規模でディレクターやプロデューサーなどの限られた人間だけでバランスをとることは、無理だったといえる。

 通しで全体を見る機会があれば、このようなバランスの悪さは回避できた

 

 ここでようやくBotWに到達する。

 

 ブレスオブザワイルド - 開発環境の素晴らしさ -

  ゲームの出来についても語りたいことは山ほどあるが、それはここでは止めておく。どのようにしてこのゲームが出来上がったのか、この点について語っていく。

 ここまで初代、時のオカリナ風のタクトスカイウォードソードを振り返ってきたが、ゼルダシリーズの中で特にこの4つから、BotWは学んだ部分が非常に多い。

 

 今作を代表する広い世界について、インタビューで判明した開発の順序はこうなっている。

  1. 全体の大きさと重要な場所の位置関係を決める
  2. 簡単な地形のデータを作成する
  3. そのマップをやりたいシチュエーションや道の指定で埋めていき、各デザイナーがマップを作成していく
  4. 疎と密のバランスをとっていく

  順番に説明していく。まず1の段階は、藤林ディレクターがインタビューで語っていた、距離感を計るために京都の地形を使ったこと。ここから分かるように、それぞれの場所同士の距離、行くのにかかる時間についてはかなり重要視していた。外野の想像にしかならないが、これは風のタクトの反省が十分に生きた結果だと思う。

 移動の退屈感は様々なゼルダ作品に見られる問題点ではあったが、BotWはフィールドを探索することを主軸に置くことで、見事のこの問題を解消した。

 2は言及することもないので、次は3について。全体が見えている、大きさが分かっている状態で3の工程に進むのは、非常に効率が良く、失敗しにくい。スカウォのそれぞれのチームが、アイデアをマップに採用する方式とは段違いだ。

 また同様に4も、同じ人間(とは言っても上の人間だけでなく、かなり大人数)が見ているため、バランスがとりやすく、アイデアかぶりもなく、たとえ同じアイデアでもマップに適度に散りばめることでプレイヤーの飽きも生じにくい。さらに言うならば、アイデアとアイデアが思わぬ相乗効果を生み出し、それがさらに新しい遊びにつながっていく。これはゲームだけの話ではなく、人間も同様に影響し合い、インスピレーションを生じさせることにつながる。

    ここがまさに時のオカリナに通じる部分だ。

 

堂田 プランナーが自身の担当範囲を持っているのと一緒で、プログラマーも担当者しか知らないことが多いんです。例えばリンクは崖に登れますけど、プログラマーのこだわりで動くものにもへばりつけるようにつくってあるんですね。でも、多くのプランナーはそのことに気が付いていなかったんです。ですので、そういうことをプレゼンするんですよ。「こんなネタがあるけど欲しい人いますか?」って。

 

滝澤 何回か営業大会がありました。

 

一同 (笑)

 

――そのへばりつく動作はどうなったんですか?

 

堂田 イワロックなど大きな敵に登って倒すという遊びになりました。

 

藤林 敵をつくっているチームが技術をもらっていきました(笑)。

 

堂田 物に貼り付けて飛ばせるオクタ風船とかもそうでした。「風船で物を浮かばせることができますよ」とプレゼンをしまして。「それはいろんなことが崩壊しない?」とも言われたんですけど、最終的にはああいう形で入りました。

 

ニンテンドードリーム 2017年5月号 vol.277 P79

 

 微妙に形こそ違えど、これは間違いなく時のオカリナのときのネタのかぶせあいだ。

 

 結論としては、開発環境を全てオープンにしたことによって、広さと密度のバランスがとりやすくなり、さらに”掛け算の遊び”という今作のコンセプトも生まれた。スタッフ全員で通しでプレイすること、アイデア掲示板のような仕組み、クラウドのマップ上に貼ることで、全員が見ることが出来る3D付箋など、こういった開発環境のオープン化によって今作は誕生したといえる。

 

f:id:JyuJyuRa8592155:20170507010510j:plain

上の画像はスーパーマリオ3Dワールド開発時のアイデア付箋の数々(https://www.nintendo.co.jp/wiiu/interview/ardj/vol1/index.html#slide001

 

 近年はゲームの規模が非常に大きくなっており、全体を把握するのが難しくなっている。個々人が何の作業をやっているのか、全体のバランスを見れていないゲームも少なくない。もちろん任天堂も例外ではない。ゼルダシリーズは特に開発規模が大きく、この問題によく悩まされている。

 そのゼルダ開発チームが、ようやく未来に継承できるような開発スタイルを作り出すことに成功したことは、喜ばしい限りで、そういう意味でもBotWは神ゲーだとわたしは思う。

 時のオカリナはゲームとしての完成度が非常に高かったが、開発スタイルに関してはかなり特異で、他のゲーム会社や、任天堂自身も真似できるようなものではなかったが、BotWのそれは間違いなく、真似していいものだ。

 

 少々脱線するが、わたしは、大手ゲーム会社には”根”を作る責任があるように感じる。

 スーパーマリオブラザーズで2Dアクションに、スーパーマリオ64時のオカリナで3Dゲームに、DSで2画面に、Wii体感ゲームに可能性を感じたように、大手ゲーム会社には、先導するリーダー的存在であってほしいと思う。インディーズを始めとする零細メーカーが可能性を感じるタイトルをぜひ作って欲しいのだ。

 しつこくなるが、そういう意味でもゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド神ゲーである。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com