読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゼルダシリーズの歴史からブレスオブザワイルドを語る

 ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(以下、BotW)は歴史に名を残す名作になる。わたしはそう確信している。

 初代から31年、時のオカリナから19年、偉大なる先代たちに負けない仕上がりになっている。

 そうなるとやはり気になるのは、ここまで任天堂はどうやって行き着いたのか?ということだ。ゼルダが歩んできた30年の歴史をたどりながら分析していこうと思う。

 

初代ゼルダオープンワールドである

 初代ゼルダの伝説の冒頭を覚えているだろうか。

 何の指示も無く世界に放り出されたリンク。とりあえず近くの洞窟に入ると老人にこう言われる。
「ヒトリデハキケンジャ コレヲ サズケヨウ」
 そういって剣をくれる。

……たったそれだけだ。説明も指示もない。そそくさと洞窟から出る。
「ここからお前は勇者だ。さあ世界に旅立て!」

 
 冒頭だけ見ても、初代ゼルダの構造はオープンワールドゲームによく似ている。あれやこれやと要求や指示をすることなく、プレイヤーの目の前にいきなり広大フィールドを出す。マップを隅から隅まで探索するもよし、隠し部屋を探すもよし、敵と戦うもよし、ダンジョンを攻略するもよし......

 もちろんゴールは存在するのでそのためにやらなければならないことはたくさんある。しかし、このゲームはそれを教えてくれないし、強制もしない。

 この懐の深さが初代ゼルダが名作と言われる所以なのだ。

 

www.youtube.com

 

 BotWのインタビューで開発者が口々に言う「原点回帰」はまさにこの点である。昨今のオープンワールドブームに乗っかろうと思ったわけでは決してない。今作はゼルダシリーズ行き着くべき到達点なのだ。

 

時のオカリナ 2Dから3Dへ

 時のオカリナがゲーム業界やプレイヤーにもたらした衝撃は、もはや語る必要はないだろう。

 任天堂は2Dから次のステップ、3Dに突入した。それによって開発環境の激変し、開発難易度も急上昇した。このスーパーファミンからNINTENDO64への移行時期の過酷さは素人がおっかなびっくり語っていいものではない。

 しかし、そんな中でも時のオカリナの開発陣は活き活きしていた。

 

滝澤 『ゼルダ』のものづくりというのは、もともと完璧な設計図があるんじゃなくて、ある土台を元に、みんなでキャッチボールをしながらかぶせ合いするようなことが基本だったような気がします。

 

春花 そうですよね。つねにみんなとしゃべりながら、ネタをかぶせ合って、ものをつくっていましたし。たとえばディレクターに対しても「決めてください」というのではなく、“いっしょに決めにかかる”みたいな感じでした。

 

岩田 つまり、指示をする人と指示される人の構造ではなかったんですね。

 

春花 そうなんです。立場やキャリアに関係なく、「こっちのほうがいいと思います」とか、自然とみんなで言い合えた現場でした。その傾向は、とくに開発の終盤に顕著になりました。

 

宮永 終いには「そこは僕がやります」とか。

 

春花 そう、気がついたことはそれぞれが勝手にやっていたんですよね。

 

 インタビューから、時のオカリナの特異な開発環境が見えてくる。それは、やるべき仕事を分担するのではなく、スタッフ全員でクオリティアップを図っていくということだ。

 

 任天堂は昔から、良く言えば自由に、悪く言えば行き当たりばったりなこの開発スタイルを貫いてきた。成功は多くあれど、失敗もあった。そんな中で時のオカリナの時は、この方法が完璧に機能した。

 例えばキャラクターならば、デザイン、モーション、テキスト、声、テーマ曲等々......各担当スタッフがひとつのキャラクターイメージを共有し、それを実現するためのアイデアを全員で詰めていく。”ネタのかぶせ合い”によってだんだんとキャラが立っていく。限られた人間の頭の中にあるイメージを具現化するのではなく、全員でイメージを固めていくのだ。

 BotWは開発環境だけで言えば、時のオカリナ極めて近い。これについては後述する。

 (蛇足だが、宮本茂の「ゲームは2度作ると良くなる」という言葉はこういう経験からきたものかもしれない)

 

風のタクト 広さと密度の両立

 インタビューで青沼氏がたびたび口にしているので知っている人も多いと思うが、BotWでやりたかったことは、風のタクトの時に一度挑戦しているのだ。

 そのやりたかったこととは、言うまでもなくオープンワールドだ。移動中にロードがはさまれることなく世界がどこまでも続いている......それを実現するために風のタクトでは広い海を用意し、島という要素を散りばめていった。

  しかし、広さを実現するためのアイデアが先行してしまったために風のタクトはもう1つの大事な密度を追求出来ていない。

 

 ここで再び時のオカリナを取り上げる。

 時のオカリナハイラル平原のサイズ感は絶妙だ。

  目的地に行くまでにかかる時間がストレスを感じないレベルで長く設定されており、広さを演出することと、利便性の両立に見事成功している。また、フィールドの広さに慣れてくる後半には、ワープポイントを登場させることで、移動にストレスを感じない工夫が施されている。

  この「目的地に行くまでにかかる時間と、その道中のフィールドの遊びの密度のバランス」を時のオカリナはわきまえていた。

 

 一方、風のタクトはどうだろうか。自分はその点の配慮が欠けていたように思う。

 全体の密度のバランスをみつつ、フィールドの広さを設定しなければならないところを、広さを先に設定してしまったように感じる。全てが全て海という巨大なフィールドで繋がっている本作において、この作る順序の違いは深刻である。

 結果、風のタクトは移動が非常に退屈なゲームとなった。これは、馬を走らせるためにハイラル平原を作った時のオカリナと対極の関係にある。

  また、海を題材にする以上、主要な遊びが島という限られた空間に集中してしまい、密度のバランスをとるのが難しい、という根本的な問題もある。

 

 風のタクトを例えるならば、最初に大きな紙を選んでしまい、時間が足りず空白がたくさんできてしまった絵、といったところか。部分的には評価できるが、全体を見ると大きな問題を抱えていることが分かる。

 目指していた方向性で言えば、風のタクトがBotWが一番近い。

 

下の動画の19:58あたりから青沼氏がオープンワールドに関して語っており、風のタクトを例に挙げている

www.nicovideo.jp

 

スカイウォードソード 分担と全体のバランス

  今回の記事を書くにあたり、スカイウォードソード(以下、スカウォ)の社長が訊くを読んだのだが、BotWを語るうえで最も重要なタイトルはスカウォである、と確信した。ブレスオブザワイルドはスカイウォードソードのリベンジである、最初はこのタイトルにしようかと思ったくらいだ。

 

 そう思った理由は2つある。ひとつは、再利用されたアイデアが複数あること。メニュー画面を開かないアイテム選択方法、のろし、パラショール(BotWはパラセール)、ダウジング等。

 もうひとつは、スカウォの開発スタイルが、BotWのそれの反面教師になっていることだ。

 前者は列挙するだけなので、ここでは後者について詳しく書いていく。

 社長が訊くを読めば嫌でも分かってくることだが、スカウォは大きなチームが4つあった。空、森、火山、砂漠。そして、これら全体のバランスをディレクターやプロデューサーが監修するという開発体制をとっていた。公式で”濃密ゼルダ”と称したり、開発期間、開発者の人数が任天堂最大規模なのを自慢するぐらいスカウォはボリューミーなゲームだった。だから、この開発スタイルは妥当といえる。

 しかし、スカウォよりボリュームが多いBotWでは、この開発スタイルはとられていない。なぜか?

 スカウォをプレイした人なら分かると思うが、このゲーム、後半の面倒くささが半端ではない。サイレンを代表する収集ゲームの連続...ダンジョンやアクション系のミッションは後半につれて少なくなっていき、同じようなことばかりが連続でプレイヤーに課せられていく。

 原因はいろいろとあると思う。だが敢えて断言するならば、チームをはっきりと分けたこの開発スタイルに最大の原因がある。

 個々のチームのアイデアは素晴らしいのに、それを全体として見て、バランスをとることに労力を割けていなかったのだ。少なくとも、スカウォの規模でディレクターやプロデューサーなどの限られた人間だけでバランスをとることは、無理だったといえる。

 通しで全体を見る機会があれば、このようなバランスの悪さは回避できた

 

 ここでようやくBotWに到達する。

 

 ブレスオブザワイルド 開発環境の素晴らしさ

  ゲームの出来についても語りたいことは山ほどあるが、それはここでは止めておく。どのようにしてこのゲームが出来上がったのか、この点について語っていく。

 ここまで初代、時のオカリナ風のタクトスカイウォードソードを振り返ってきたが、ゼルダシリーズの中で特にこの4つから、BotWは学んだ部分が非常に多い。

 

 今作を代表する広い世界について、インタビューで判明した開発の順序はこうなっている。

  1. 全体の大きさと重要な場所の位置関係を決める
  2. 簡単な地形のデータを作成する
  3. そのマップをやりたいシチュエーションや道の指定で埋めていき、各デザイナーがマップを作成していく
  4. 疎と密のバランスをとっていく

  順番に説明していく。まず1の段階は、藤林ディレクターがインタビューで語っていた、距離感を計るために京都の地形を使ったこと。ここから分かるように、それぞれの場所同士の距離、行くのにかかる時間についてはかなり重要視していた。外野の想像にしかならないが、これは風のタクトの反省が十分に生きた結果だと思う。

 移動の退屈感は様々なゼルダ作品に見られる問題点ではあったが、BotWはフィールドを探索することを主軸に置くことで、見事のこの問題を解消した。

 2は言及することもないので、次は3について。全体が見えている、大きさが分かっている状態で3の工程に進むのは、非常に効率が良く、失敗しにくい。スカウォのそれぞれのチームが、アイデアをマップに採用する方式とは段違いだ。

 また同様に4も、同じ人間(とは言っても上の人間だけでなく、かなり大人数)が見ているため、バランスがとりやすく、アイデアかぶりもなく、たとえ同じアイデアでもマップに適度に散りばめることでプレイヤーの飽きも生じにくい。さらに言うならば、アイデアとアイデアが思わぬ相乗効果を生み出し、それがさらに新しい遊びにつながっていく。これはゲームだけの話ではなく、人間も同様に影響し合い、インスピレーションを生じさせることにつながる。

    ここがまさに時のオカリナに通じる部分だ。

 

堂田 プランナーが自身の担当範囲を持っているのと一緒で、プログラマーも担当者しか知らないことが多いんです。例えばリンクは崖に登れますけど、プログラマーのこだわりで動くものにもへばりつけるようにつくってあるんですね。でも、多くのプランナーはそのことに気が付いていなかったんです。ですので、そういうことをプレゼンするんですよ。「こんなネタがあるけど欲しい人いますか?」って。

 

滝澤 何回か営業大会がありました。

 

一同 (笑)

 

――そのへばりつく動作はどうなったんですか?

 

堂田 イワロックなど大きな敵に登って倒すという遊びになりました。

 

藤林 敵をつくっているチームが技術をもらっていきました(笑)。

 

堂田 物に貼り付けて飛ばせるオクタ風船とかもそうでした。「風船で物を浮かばせることができますよ」とプレゼンをしまして。「それはいろんなことが崩壊しない?」とも言われたんですけど、最終的にはああいう形で入りました。

 

ニンテンドードリーム 2017年5月号 vol.277 P79

 

 微妙に形こそ違えど、これは間違いなく時のオカリナのときのネタのかぶせあいだ。

 

 結論としては、開発環境を全てオープンにしたことによって、広さと密度のバランスがとりやすくなり、さらに”掛け算の遊び”という今作のコンセプトも生まれた。スタッフ全員で通しでプレイすること、アイデア掲示板のような仕組み、マップ上に貼ることで、全員が見ることが出来る3D付箋など、こういった開発環境のオープン化によって今作は誕生したといえる。

 

f:id:JyuJyuRa8592155:20170507010510j:plain

上の画像はスーパーマリオ3Dワールド開発時のアイデア付箋の数々(https://www.nintendo.co.jp/wiiu/interview/ardj/vol1/index.html#slide001

 

 近年はゲームの規模が非常に大きくなっており、全体を把握するのが難しくなっている。個々人が何の作業をやっているのか、全体のバランスを見れていないゲームも少なくない。もちろん任天堂も例外ではない。ゼルダシリーズは特に開発規模が大きく、この問題によく悩まされている。

 そのゼルダ開発チームが、ようやく未来に継承できるような開発スタイルを作り出すことに成功したことは、喜ばしい限りで、そういう意味でもBotWは神ゲーだとわたしは思う。

 時のオカリナはゲームとしての完成度が非常に高かったが、開発スタイルに関してはかなり特異で、他のゲーム会社や、任天堂自身も真似できるようなものではなかったが、BotWのそれは間違いなく、真似していいものだ。

 

 少々脱線するが、わたしは、大手ゲーム会社には”根”を作る責任があるように感じる。

 スーパーマリオブラザーズで2Dアクションに、スーパーマリオ64時のオカリナで3Dゲームに、DSで2画面に、Wii体感ゲームに可能性を感じたように、大手ゲーム会社には、先導するリーダー的存在であってほしいと思う。インディーズに金を渡すだけではなく、彼らに可能性を感じさせるタイトルをぜひ作って欲しいのだ。

 しつこくなるが、そういう意味でもゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド神ゲーである。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

 

任天堂のこだわり-感覚と操作の合致

 このタイトルだとDS・Wii時代の体感ゲームを想像する人が多いと思う。しかし、今回はそうではなく、任天堂がゲーム作りを始めてからずっとこだわり続けている操作そのものについて語っていきたいと思う。

 

マリオはやっぱり凄い

 

 任天堂の看板タイトルといえば当然マリオな訳で、任天堂全体を語る上でまずここから掘り下げていくのが妥当だろう。

 初代スーパーマリオブラザーズの操作はシンプルで基本は移動とジャンプしかない。操作も十字キーの右左で移動、Aボタンでジャンプ、Bボタンでダッシュのたった3つだけだ。それでもマリオは面白い、それは何故か?答えは複数あると思うが今回は題に沿ったものに絞って「操作してて楽しい」と仮定する。

 じゃあ操作が楽しいという感覚はどうすれば得られるのか。任天堂はその疑問に対し早々に答えを出し、その集大成ともいえるスーパーマリオブラザーズを発売した。

 

具体的な話をしていこう。

 任天堂が出した結論、それはゲーム内のアクションを人間の身体感覚・感情となるべくシンクロさせるというものだ。もう少し具体的に言うと卓球のラケットを振るアクションをしたいならコントローラーを振る、周りを見渡したいのならゲーム機ごと動かすといった具合だ。こう言ってしまうと「やっぱりWii時代にやったことじゃないか!」と怒られてしまいそうだが、あくまでほぼ全員の人間に分かる形で現れたのがWii体感ゲームであって、この試み自体は先も言ったように初代マリオの時代からあったのだ。 ここではジャンプとダッシュについて解説する。

  • ジャンプ

 基本情報から話していくと、マリオのジャンプというのはボタンを一瞬押せばマリオは低いジャンプをし、ボタンを長く押せばマリオは高くジャンプする。当たり前に多くの人がこなしているこのテクニック、実に洗練された操作だといえる。何故なら、我々は無意識のうちに低いジャンプと高いジャンプに必要なパワーを認識しており、マリオと同じように低いジャンプならボタンを押す力は弱くていいだろう、高いジャンプならボタンを押す力は強くなければならないと感覚的に理解しているからだ。勿論ゲーム機のコントローラーのボタンは押す力なんて認識していない。しかし我々の認識は上の通りでいい。何故か?

 

 高いジャンプを要求させる場面というのはそんなに多くないし、ミスしてしまうと奈落の底に落ちてしまう、そんなスリル溢れる場面なのだ。その時、大きい穴を飛び越える時「届けえええ!」と願いを込めて我々はボタンをぎゅうううっっと押してしまうのではないだろうか。つまり、無意識のうちにプレイヤーは強い力でボタンを押すことで結果的に長い時間ボタンを押しているのだ。ボタンを押している間、マリオのジャンプ高度は伸び続けるという仕組みに、人間の感覚が見事に噛み合ったのである。緊張状態ではつい力んでしまったり逆に力を入れると緊張してしまう、という人間の特徴も把握した上での操作ではないだろうか。

 また、ゲーム内の時間と現実世界の時間のリンクというのも特筆すべき事項だろう。キャラクターが長いアクションをするならプレイヤーも長い操作、今回でいうならボタンを押し続けるといった具合だ。この工夫を施すだけでキャラクターの操作の手になじみやすさは格段によくなり、操作自体に楽しさを見出せるようになるのだ。

 ゆえに今日のゲームのゲームにありがちなボタンを一回押すと次に入力を受け付けるまでに何秒もかかる、といったものはプレイヤーの操作キャラへの移入を阻害するものであり、操作への煩わしさを感じずにはいられないのである。

  • ダッシュ

 これはニンテンドードリーム2014年4月号のインタビュー内での任天堂社員の林田宏一さんの受け売りなのだが、Bダッシュというのは車でいうところのアクセル、エキサイトバイクから継承されたシステムなのだ。

林田 『スーパーマリオ』は当時のアクションゲームとしてはありえない操作なんですよ。Bダッシュってレースゲームのアクセルを人間のキャラクターに使っているんですから。 *1

  ダッシュというのは状態の継続であり、先にも述べた通り力を入れ続ける状態というのは一種の緊張を生む。ダッシュ自体には緊張の要素はないが、ダッシュをしなければならない場面は脅威を潜り抜けたり、大穴を越えたりと緊張がつきものだ。つまりここでもゲーム内の状況と操作のシンクロが起こっているのだ。

 

宮本茂が仕組んだ嘘

 宮本茂は身体感覚をゲームに盛り込むことに尽力する人物なのだが、同時にさりげなく嘘を混ぜ込むのが得意な人物でもある。基本の動作は現実に即しているのだがその動きの中にさらっと嘘を入れ込む事で気持ちの良いアクションを実現するのだ。再びマリオを例に挙げる。

 マリオにおいての嘘はたくさんある。ジャンプ中に好きな方向に移動できること、まずこれだ。こんなことは当然現実では行えないが、違和感はないし、とても直感的な操作だ。これは先にも言ったように基本の操作が現実に即した、人間にとって直感的な操作になっているからなのだ。最初のほうは基本の操作だけでアスレチックを突破する。そこから応用テクニックを使わせるようなギミックがだんだんと登場していく。任天堂のゲームは殆どがそういう段階を踏んでいる。よってその現実の感覚に近しい操作の延長線上に存在する嘘を違和感なく受け入れることが出来るのだ。だから宮本茂は基本操作に嘘は入れないが、それを元にしたアクションには入れ込んでくる。

 他の嘘も同様だ。バック宙返り、幅跳びは基本のジャンプ操作、現実に存在するものの延長線であり、3段ジャンプもマット体操をイメージすればいいだろう。もちろん紛れもない嘘も存在するがそれらも何か現実の感覚に支えられた気持ちのいいアクションになっているはずだ。

 

いろいろと挙げてみる

 マリオだけでは面白くないので他のゲームでもいくつか例を挙げてみることにする。

 

 スプラトゥーンにおいてイカ状態になりインクに潜伏する時には、「敵にバレないか?どうかな...」といった緊張の場面がある。これは先のジャンプ、ダッシュと同じでボタンを押し続ける状態というのは緊張が伴う。マリオからこの部分はしっかりと継承されているのだ。

 またチャージャーの操作だが、これも同じでボタンを押した緊張の状態からボタンから指を離すことで緊張から解放される。その瞬間に敵を倒そうものなら最高に気持ちのいいエフェクトと効果音がついてくる、という何かをやらなければいけないとプレイヤーが自覚するよりも前にゲーム側から気持ちのいい操作を提供することで無意識にこれがやるべき事だと理解できる作りになっているのだ。これはスプラトゥーンゲームデザイン全体にも関わるものだが、これについては他の方がこの題で書いていた気がするので省略する。また単純にチャージャーという名が示す通りこれはパワーを貯めてインクを放つブキであり、その説得力を増す為にボタンを押し続けるところから解放、という操作が最適である、という理由もある。

 これは蛇足かもしれないが昨今の多くのTPS、FPSにおいて銃を撃つ操作がLRボタンなどのトリガー状のボタンに割り当てられているのは本物の銃を意識してのことだと考えられ、ここにも少しながら現実の感覚に近づけようという工夫が垣間見える。

 

 カービィが体に空気を含ませ、手をパタパタして行うホバリング。これはカービィにとっての最終手段「逃げ」である。敵から逃げたりするときにボタンを連打して空にホバリングで逃げるというのは非常にスリリングな気持ちにマッチした操作であろう。

 

 スマブラシリーズにおいては攻撃のボタンとスティックの方向でどの方向に攻撃を繰り出すかを決めることが出来る。「あっ!右に敵が」といった状況になった時に直感的に右にスティックを傾け、ボタンを押すことで結果的に攻撃することが出来るのである。なので皆さんの周りで操作をよく分かってないけどなんだかんだ勝ててる人がいたとしても、それは別に不思議なことではなく、スマブラの敷居が低い所以なのだ。

 

今回は見たまんまゲームに反映されるスティックやWiiリモコンなどの体感系の操作は省略したが、今回紹介した操作と組み合わせることで更に面白いアクションを実現できるかもしれない。

 

カメラの存在 -任天堂FPSを作らない理由-

 この文を書いていて気付いたことがある。何故私は一人称視点のゲームが好きになれないのか?答えは簡単だった。視点操作という現実には絶対存在しえない制約が一人称のゲームには付きまとってくるのだ

 もちろん三人称視点のゲーム等にもカメラ操作という概念は存在する。しかし、スーパーマリオ64のOP *2を見れば分かる通り三人称視点のゲームにおいてカメラというのはメタ的な存在である。つまりこのゲームにはカメラマンという見えない存在がいます。プレイアブルキャラ以外にもカメラ操作してくださいね」という宣言を密かに行いプレイヤーがそれを無自覚に了承しているのだ。

 しかし一人称ゲームはどうだろうか。そのメタ的操作をプレイヤーの分身ともいえるキャラクターの操作の中に無理やり導入してしまったのだ。こうなるとカメラ操作はメタ的存在ではなくなってしまう。現実の感覚として視点操作を習得するのはほぼ不可能なので、頭で理解しなければならない。現実に近い映像を見せようとした結果、操作としてはむしろ現実から一歩離れてしまったのだ。これがFPSの敷居が高くなっているひとつの要因だと私は考える。

 ここからは私の勝手な想像だが、任天堂FPS・一人称視点ゲームを積極的に作らない理由はここにあると思う。また作るにしてもメトロイドプライムシリーズではカメラ操作の制限*3銃口を向けることで視点操作を兼ねるといった工夫がみられる。スーパーマリオ64でゲームの3D世界に初めて触れた人が少なからず難しいと感じたカメラ操作(空間把握能力)に決定打といえる解決策を見いだせていない任天堂にとって、一人称視点というのはハードルが高いと感じているのかもしれない。他にもキャラが映らないといった理由はあるとは思うが。

 

とにかく任天堂は感覚と操作との関係性を非常に大事にしており、単純に凄いプログラマーがいるから気持ちのいい操作が実現出来ている、なんていうことでは決してなく、宮本茂や多くの任天堂社員が天才だからというのも違う。ちゃんと後世に残せるようなロジックに基づいたものだと、私は信じてやまない。

 

 

 

 

*1:ニンテンドードリーム2014年4月号 vol.240 P24 『ファミコンリミックス ファミコン当時を知る開発者たちの制作秘話』

*2:カメラを持ったジュゲムがキノコ城を回る映像の後、マリオが土管から現れるところをジュゲムが撮影する

*3:Rボタンを押している間のみスティックでのカメラ操作が可能。ロックオンも存在