任天堂のこだわり-感覚と操作の合致

 このタイトルだとDS・Wii時代の体感ゲームを想像する人が多いと思う。しかし、今回はそうではなく、任天堂がゲーム作りを始めてからずっとこだわり続けている操作そのものについて語っていきたいと思う。

 

マリオはやっぱり凄い

 

 任天堂の看板タイトルといえば当然マリオな訳で、任天堂全体を語る上でまずここから掘り下げていくのが妥当だろう。

 初代スーパーマリオブラザーズの操作はシンプルで基本は移動とジャンプしかない。操作も十字キーの右左で移動、Aボタンでジャンプ、Bボタンでダッシュのたった3つだけだ。それでもマリオは面白い、それは何故か?答えは複数あると思うが今回は題に沿ったものに絞って「操作してて楽しい」と仮定する。

 じゃあ操作が楽しいという感覚はどうすれば得られるのか。任天堂はその疑問に対し早々に答えを出し、その集大成ともいえるスーパーマリオブラザーズを発売した。

 

具体的な話をしていこう。

 任天堂が出した結論、それはゲーム内のアクションを人間の身体感覚・感情となるべくシンクロさせるというものだ。もう少し具体的に言うと卓球のラケットを振るアクションをしたいならコントローラーを振る、周りを見渡したいのならゲーム機ごと動かすといった具合だ。こう言ってしまうと「やっぱりWii時代にやったことじゃないか!」と怒られてしまいそうだが、あくまでほぼ全員の人間に分かる形で現れたのがWii体感ゲームであって、この試み自体は先も言ったように初代マリオの時代からあったのだ。 ここではジャンプとダッシュについて解説する。

  • ジャンプ

 基本情報から話していくと、マリオのジャンプというのはボタンを一瞬押せばマリオは低いジャンプをし、ボタンを長く押せばマリオは高くジャンプする。当たり前に多くの人がこなしているこのテクニック、実に洗練された操作だといえる。何故なら、我々は無意識のうちに低いジャンプと高いジャンプに必要なパワーを認識しており、マリオと同じように低いジャンプならボタンを押す力は弱くていいだろう、高いジャンプならボタンを押す力は強くなければならないと感覚的に理解しているからだ。勿論ゲーム機のコントローラーのボタンは押す力なんて認識していない。しかし我々の認識は上の通りでいい。何故か?

 

 高いジャンプを要求させる場面というのはそんなに多くないし、ミスしてしまうと奈落の底に落ちてしまう、そんなスリル溢れる場面なのだ。その時、大きい穴を飛び越える時「届けえええ!」と願いを込めて我々はボタンをぎゅうううっっと押してしまうのではないだろうか。つまり、無意識のうちにプレイヤーは強い力でボタンを押すことで結果的に長い時間ボタンを押しているのだ。ボタンを押している間、マリオのジャンプ高度は伸び続けるという仕組みに、人間の感覚が見事に噛み合ったのである。緊張状態ではつい力んでしまったり逆に力を入れると緊張してしまう、という人間の特徴も把握した上での操作ではないだろうか。

 また、ゲーム内の時間と現実世界の時間のリンクというのも特筆すべき事項だろう。キャラクターが長いアクションをするならプレイヤーも長い操作、今回でいうならボタンを押し続けるといった具合だ。この工夫を施すだけでキャラクターの操作の手になじみやすさは格段によくなり、操作自体に楽しさを見出せるようになるのだ。

 ゆえに今日のゲームにありがちなボタンを一回押すと次に入力を受け付けるまでに何秒もかかる、といったものはプレイヤーの操作キャラへの移入を阻害するものであり、操作への煩わしさを感じずにはいられないのである。

  • ダッシュ

 これはニンテンドードリーム2014年4月号のインタビュー内での任天堂社員の林田宏一さんの受け売りなのだが、Bダッシュというのは車でいうところのアクセル、エキサイトバイクから継承されたシステムなのだ。

林田 『スーパーマリオ』は当時のアクションゲームとしてはありえない操作なんですよ。Bダッシュってレースゲームのアクセルを人間のキャラクターに使っているんですから。 *1

  ダッシュというのは状態の継続であり、先にも述べた通り力を入れ続ける状態というのは一種の緊張を生む。ダッシュ自体には緊張の要素はないが、ダッシュをしなければならない場面は脅威を潜り抜けたり、大穴を越えたりと緊張がつきものだ。つまりここでもゲーム内の状況と操作のシンクロが起こっているのだ。

 

宮本茂が仕組んだ嘘

 宮本茂は身体感覚をゲームに盛り込むことに尽力する人物なのだが、同時にさりげなく嘘を混ぜ込むのが得意な人物でもある。基本の動作は現実に即しているのだがその動きの中にさらっと嘘を入れ込む事で気持ちの良いアクションを実現するのだ。再びマリオを例に挙げる。

 マリオにおいての嘘はたくさんある。ジャンプ中に好きな方向に移動できること、まずこれだ。こんなことは当然現実では行えないが、違和感はないし、とても直感的な操作だ。これは先にも言ったように基本の操作が現実に即した、人間にとって直感的な操作になっているからなのだ。最初のほうは基本の操作だけでアスレチックを突破する。そこから応用テクニックを使わせるようなギミックがだんだんと登場していく。任天堂のゲームは殆どがそういう段階を踏んでいる。よってその現実の感覚に近しい操作の延長線上に存在する嘘を違和感なく受け入れることが出来るのだ。だから宮本茂は基本操作に嘘は入れないが、それを元にしたアクションには入れ込んでくる。

 他の嘘も同様だ。バック宙返り、幅跳びは基本のジャンプ操作、現実に存在するものの延長線であり、3段ジャンプもマット体操をイメージすればいいだろう。もちろん紛れもない嘘も存在するがそれらも何か現実の感覚に支えられた気持ちのいいアクションになっているはずだ。

 

いろいろと挙げてみる

 マリオだけでは面白くないので他のゲームでもいくつか例を挙げてみることにする。

 

 スプラトゥーンにおいてイカ状態になりインクに潜伏する時には、「敵にバレないか?どうかな...」といった緊張の場面がある。これは先のジャンプ、ダッシュと同じでボタンを押し続ける状態というのは緊張が伴う。マリオからこの部分はしっかりと継承されているのだ。

 またチャージャーの操作だが、これも同じでボタンを押した緊張の状態からボタンから指を離すことで緊張から解放される。その瞬間に敵を倒そうものなら最高に気持ちのいいエフェクトと効果音がついてくる、という何かをやらなければいけないとプレイヤーが自覚するよりも前にゲーム側から気持ちのいい操作を提供することで無意識にこれがやるべき事だと理解できる作りになっているのだ。これはスプラトゥーンゲームデザイン全体にも関わるものだが、これについては他の方がこの題で書いていた気がするので省略する。*2

 また単純にチャージャーという名が示す通りこれはパワーを貯めてインクを放つブキであり、その説得力を増す為にボタンを押し続けるところから解放、という操作が最適である、という理由もある。

 これは蛇足かもしれないが昨今の多くのTPS、FPSにおいて銃を撃つ操作がLRボタンなどのトリガー状のボタンに割り当てられているのは本物の銃を意識してのことだと考えられ、ここにも少しながら現実の感覚に近づけようという工夫が垣間見える。

 

 カービィが体に空気を含ませ、手をパタパタして行うホバリング。これはカービィにとっての最終手段「逃げ」である。敵から逃げたりするときにボタンを連打して空にホバリングで逃げるというのは非常にスリリングな気持ちにマッチした操作であろう。

 

 スマブラシリーズにおいては攻撃のボタンとスティックの方向でどの方向に攻撃を繰り出すかを決めることが出来る。「あっ!右に敵が」といった状況になった時に直感的に右にスティックを傾け、ボタンを押すことで結果的に攻撃することが出来るのである。なので皆さんの周りで操作をよく分かってないけどなんだかんだ勝ててる人がいたとしても、それは別に不思議なことではなく、スマブラの敷居が低い所以なのだ。

 

今回は見たまんまゲームに反映されるスティックやWiiリモコンなどの体感系の操作は省略したが、今回紹介した操作と組み合わせることで更に面白いアクションを実現できるかもしれない。

 

カメラの存在 -任天堂FPSを作らない理由-

 この文を書いていて気付いたことがある。何故私は一人称視点のゲームが好きになれないのか?答えは簡単だった。視点操作という現実には絶対存在しえない制約が一人称のゲームには付きまとってくるのだ

 もちろん三人称視点のゲーム等にもカメラ操作という概念は存在する。しかし、スーパーマリオ64のOP *3を見れば分かる通り三人称視点のゲームにおいてカメラというのはメタ的な存在である。つまりこのゲームにはカメラマンという見えない存在がいます。プレイアブルキャラ以外にもカメラ操作してくださいね」という宣言を密かに行いプレイヤーがそれを無自覚に了承しているのだ。

 しかし一人称ゲームはどうだろうか。そのメタ的操作をプレイヤーの分身ともいえるキャラクターの操作の中に無理やり導入してしまったのだ。こうなるとカメラ操作はメタ的存在ではなくなってしまう。現実の感覚として視点操作を習得するのはほぼ不可能なので、頭で理解しなければならない。現実に近い映像を見せようとした結果、操作としてはむしろ現実から一歩離れてしまったのだ。これがFPSの敷居が高くなっているひとつの要因だと私は考える。

 ここからは私の勝手な想像だが、任天堂FPS・一人称視点ゲームを積極的に作らない理由はここにあると思う。また作るにしてもメトロイドプライムシリーズではカメラ操作の制限*4銃口を向けることで視点操作を兼ねるといった工夫がみられる。スーパーマリオ64でゲームの3D世界に初めて触れた人が少なからず難しいと感じたカメラ操作(空間把握能力)に決定打といえる解決策を見いだせていない任天堂にとって、一人称視点というのはハードルが高いと感じているのかもしれない。他にもキャラが映らないといった理由はあるとは思うが。

 

とにかく任天堂は感覚と操作との関係性を非常に大事にしており、単純に凄いプログラマーがいるから気持ちのいい操作が実現出来ている、なんていうことでは決してなく、宮本茂や多くの任天堂社員が天才だからというのも違う。ちゃんと後世に残せるようなロジックに基づいたものだと、私は信じてやまない。

 

 

 

 

*1:ニンテンドードリーム2014年4月号 vol.240 P24 『ファミコンリミックス ファミコン当時を知る開発者たちの制作秘話』

*2:スプラトゥーンとは何だったのか - 色々水平思考

*3:カメラを持ったジュゲムがキノコ城を回る映像の後、マリオが土管から現れるところをジュゲムが撮影する

*4:Rボタンを押している間のみスティックでのカメラ操作が可能。ロックオンも存在