『星のカービィ スターアライズ』はなぜ、ボリューム不足に感じるのか?
星のカービィシリーズ最新作『星のカービィ スターアライズ』。星のカービィWii以来、7年ぶりの据置機作品、Nintendo Swtichというハードの特徴を意識してか、かなり多人数プレイに比重を置いた作りになっている。
本文に入る前にまずそのことを意識に置かないと、この批評は的外れになってしまう可能性が大いにある。だが、私は一人プレイで一通りの要素を遊んだので、その点の考察が足りないかもしれない。その他にも気付いていない点があるかもしれない。それらの私が至らないかもしれない部分については、ぜひ優しく指摘していただけるとありがたい。(内容によっては追記を書く可能性もあります)
決して少なくない人数のプレイヤーが今作にボリューム不足を感じているのは、私がツイッターで検索した限り、ほぼ間違いないと言っていい。だがそれに対して「ステージ数的には前作より増えている」と反論をもらったところで「そんなこと言われたって...」というのが本音である。
「〇〇が原因でボリューム不足に感じる→今作はボリュームは少なくない」という論理展開ではなく、「なぜボリューム不足に感じるのか」を解明するのがこのエントリーの目的である。
ボリューム不足に感じる原因
今作にボリューム不足を感じる大きな要因として、全体的な印象の薄さがあると私は考える。
ストーリーモードで言えば、ステージとボス戦、あとはささやかなムービーや演出、印象に残るとすれば大まかにこの3つだろう。順番に語っていく。
ステージ
前作、前々作と比べると明らかに個性的な仕掛けやアイデアが少ない。テンプレ的カービィステージが大半を占めている。
フレンズ能力によるギミックも決してつまらないとは言わないが、あくまで今までのファイアで導火線に火をつける、ハンマーやストーンで杭を打つといったギミックの延長線上であり、真新しさはない。それに加えてフレンズ能力を使用したギミックはステージの中で一貫して使われることは少ない。一問一答とでもいうべきか、応用的な答えを求められる場面は少なく、後半になるにつれて単調に感じていくのは否めない。
あとはステージ一つ一つの色が薄いというのも挙げられる。色というのは何かというとそのステージを一貫する何らかのギミックやアイデア、世界観から来るもので分かりやすいものなら水中ステージ、火山のステージ、ボスラッシュステージといった特徴付けのことである。これが今作は非常に薄いという印象を受ける。
また、フレンズアクションに関してはどうしても唐突に始まり、唐突に終わる感じがある。横スクロールアクションパートとの橋渡しの部分が欠けており、とりあえずステージの中にねじ込んだような歪さを感じる。フレンズアクションがあったことを忘れる人はいないだろうが、変則的に登場されるとあまり印象には残らない。
ボス戦
全体的に動きが単調な印象を受ける。アルティメットチョイスをやっていると分かりやすいが、動きのパターンが基本固定されておりプレイヤーとボスとの一騎打ちという感じではなく、叩くためのサンドバッグのような印象を時々抱いてしまう。
ボスの種類も定番のウィスピーウッズ(ユグドラルウッズ)、デデデ大王、メタナイト、クラッコに加えてポン&コン、アンセスビッグマム、コンパチブルの三魔官、ハイネス、エンデ・ニルと今までのカービィシリーズを遊んできた人たちからすると真新しいボスはあまり多くない。
ムービー・演出(ストーリー)
今作の地味に深刻な問題としてカービィの動機づけが弱いという点があると考える。
最初のムービーの内容は宇宙の彼方から何やら邪悪なものが飛来し、ワドルディたちがプププランドの食べ物をデデデ城に集め始めたというもの。何らかの異変が起きてカービィがどこかに向かうというのは今までと同じで、そこまで大きな動機づけは必要ない。ただ、これは放置しておくと後半になるにつれてこんな疑問を生むことになる。
「ストーリーの最終目的って何なのさ?」
ポップスターにジャマハルダが飛来して、最後のザン・パルルティザーヌを倒すところまではある程度自然な流れだが、そこからラスボスに向かうまでの流れは目的がフワフワしている。星のカービィ3でもダークマターが飛来して、汚染を徐々に解消していくということをやっていたが、こちらの場合はその延長線上でラスボスと戦う流れになっている。
だが今作は、ハイネスたちの目論みが分からないまま彼らの本拠地まで向かうことになる。
「これの何が問題なの?」と疑問に思う人もいるかもしれないが、これはつまりプレイヤーがどこでゲームが終わるかイメージできないということを意味する。
「ハイネスとかいうヤツを倒したら終わりなの?」「それともまだ真の黒幕がいるの?」「最終ステージってどんな場所?」といった疑問をもったまま、ラスボスを倒しエンディングを迎えると結果こういうことを思ってしまう
「え?あ〜これで終わりなんだ」と。これでは完全に消化不良だ。
あとは最終決戦に向けた気持ちの高揚という点でも、「いよいよラスボスだな…」とプレイヤーが気構えるための段取りが不十分だ。段取りとはすなわち、その手前のステージやステージセレクトの雰囲気で敵の本拠地に向かっていっているということを分かりやすく表現することだ。
さらに言うならば、ラスボスのエンデ・ニルがどれだけやばいヤツなのか、コイツを放っておくとどれくらい大変なのかということが曖昧だと、あまり気分が高ぶらない。「自分が今やっていることは宇宙を賭けた戦いなんだ…」と思わせてくれるような演出をちょっと入れるだけでもプレイヤーの気持ちはだいぶ変わるので、そこは今作のもったいない点であり、次回作に活かしてほしいところである。
その他にもこれは個人的な好き嫌いの域を出ない指摘かもしれないが、エクストラステージにおけるBGMの使われ方もあまり釈然としない。
BGMはその曲が流れたステージはどんなものだったかを思い出すためにも有効に機能する。なのでひっきりなしに曲を変えられると正直、ファンサービス云々よりも「ああ、無個性なステージを誤魔化すためにこうしてるのかな…」という誰にとっても嬉しくない勘繰りをしてしまう。(エクストラステージが色んなステージのギミックの詰め合わせのような立ち位置なだけに)
他のモードについて
星の〇〇〇〇はストーリーモードと殆ど被っているが、「あのステージ面白かったなー」といった想起ができないと同じようなステージをもう一度遊ぶモチベーションが起きにくい。
様々な能力のキャラクターで繰り返し遊ぶことが想定されたモードなだけに、個性的なステージを出来る限り多く用意して欲しかったというのが本音だ。
最後に2つのミニゲームだが…マリオパーティに入ってる何十個のミニゲームの一つという印象で正直言って面白くない。友達と集まってこのゲームを遊んだとしても、このミニゲームを遊ぶことはないだろう。
この2つのミニゲームの担当はHAL研究所ではないようだが、それにしたってもう少しカービィらしく、遊びごたえのあるものを用意してほしかった。文字通りの取ってつけた感が何とも複雑な気持ちにさせる。
本作の良いところ
散々ディスまがいの批判をしてきたが、もちろん本作にはいいところもたくさんある。一番はもちろん多種多様なフレンズたちだ。
これは揺るぎないカービィの魅力であり長所だが、コピー能力毎の操作感がとても気持ちいいというのがある。アクションゲームとしてこれはとても強力なアドバンテージだ。
特に私はスティックが気に入っている。棒高跳びの要領でピョンピョンしたり、縦横にしか真っ直ぐ伸びない棒を敵に当たるようにうまく操作するのは、とても手に馴染む操作感で気持ちいい。
またドリームフレンズは普通のコピー能力とは全く違うオリジナルの技も多く使え、キャラクターを操作しているだけでもとても気持ちいい。今後もドリームフレンズは追加予定とのことなので、期待して待ちたい。
星のカービィシリーズの転換点
あまり納期に囚われることなく作った前作、前々作*1と比べるとどうしても細かいところの粗が目立つが、単純に「時間が足りなかった」という結論なら、わざわざ私がこのエントリーを書く意味も薄いだろう。もちろん時間がなかったから発生した問題点というのもありはするが、それ以外の根本的な問題点も無視出来ない。
初のHDゲーム開発、フレンズヘルパーという明らかに工数が膨れ上がる新要素、Nintendo Switchのソフト展開上破れない納期。頑張りとしては評価出来るが、やはりユーザーとしてはそれをゲームの出来に反映してほしいというのが本音である。
熊崎 開発はまさに総力戦となりましたが、それでも25周年のお祝いをカービィのファンの方と一緒に、ソフトと同時に迎えられるのは本当にいいことだなぁと思いました。その期待に応えられる『カービィ』を、私を含めて開発チーム自体が一番脂の乗った時期に作ることが出来たと思います。『スターアライズ』はこれからの『カービィ』のことを考えずに、ある意味出し惜しみせず作ったところもありますので、『星のカービィ』の最終回がもしこうだったらこうデザインするみたいな決定版です!
ニンテンドードリーム 2018年5月号 vol.289 P23
今作は、世に出ることがなかった幻の三作*2のうちの一作のアイデア、フレンズヘルパーを採用したり、Wii、TDX、ロボボのいわゆる熊崎カービィのスタイルを踏襲している。上のインタビューの通り、新しいことに挑戦するというよりかは今までのカービィの文法はそのままにブラッシュアップさせたという立ち位置が妥当だろう。
これから先のことは考えずに作った集大成が今作なら、次回作では過去作の手法に囚われない新たなアイデアを生み出してほしいところである。